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自由なき人生など、惨めなものだ - Andrew Hamilton

聴覚障害者がパワーゲーム(人間関係のいざこざ)に巻き込まれたら

f:id:yRy:20170222202000j:plainphoto credit: Eduardo_il_Magnifico White Knight | Black Knight via photopin (license)

 

パワーゲーム(power game)とは、権力闘争のことである。もともとは国同士の政治的な駆け引きを意味するが、出世競争、家庭内実権争いなども、パワーゲームに含まれる。

この記事では、健聴の世界に生きる聴覚障害者がパワーゲームに巻き込まれた場合の対処法について述べる。

 

パワーゲームは、表面上おだやかに進行する。
取っ組み合いの喧嘩や罵りあいに発展することは滅多にない。

あなたのエネミーは、「あなたに傷つけられた者」であることを周囲に印象付け、味方を水面下でかつ迅速なスピードで増やしていく。あなたを排除する布陣は、粛々と敷かれる。気が付けば周りに敵しかいないという状況に陥り、弁明の余地すら与えられないまま心や自尊心が蹂躙される。これがパワーゲームである。

 

下記エントリーでも述べたように、
聴覚障害は「他者からの誤解を受けやすい」障害だ。
つまり、聴覚障害者はパワーゲームに巻き込まれることが多い。

 

 

人間関係のちょっとしたすれ違いによって、パワーゲームに巻き込まれた聴覚障害者は、大抵の場合、なにもできずボコボコにされる。

 

理由はいくつかある。  

  • 耳から情報を集めることが難しく、賢い立ち回りができない
  • 多数の人が参加する議論の場で、主張が聞き取れず、適切な反論ができない
  • 人の影話に耳をそばだてることができず、いいように言われてしまう
  • 主なコミュニケーションスタイルが「1対1」であるため、人間関係が「狭く深く」になりがちで、いざというときに助けてくれるような仲間を多く確保できない etc...

 

 

 

D・カーネギーが述べているように、人は基本的に自己正当化しか考えない生き物である。当たり前だが、自己正当化に最適チューニングされた敵手の思考ロジックに、合理的配慮は無い。

私は、聴覚障害者の地位向上を金看板に、行き過ぎ感を覚えるほど過激な言動を繰り返す聴覚障害者を咎めることができない。健聴者への憎悪が言葉の端々にあらわれている聴覚障害者は、こうしたパワーゲームによって、何もできないまま自尊心を踏みにじられ、健聴者への不信を心の底に溜めている。

 

パワーゲームは、闘争本能に支配された位相空間である。対立する2者が自分の正当性を主張しあい味方を作ろうとする。このなかで、聴覚障害者はどのようにふるまうべきか、どのように対処していくべきか、その勘所を3点挙げる。

 

① 長期戦を覚悟する


聴覚障害者がパワーゲームに巻き込まれたとき、長期戦を覚悟しなくてはならない。パワーゲームとは情報戦である。多くの人に自分の考えを話し、共感を得たものが有利になる。パワーゲームでは口話でのコミュニケーションがメインウェポンになるため、聴覚障害者は健聴者に絶対に勝てない。

つまり、あなたを排除したいと考えているクソ野郎が、大勢の人にあなたの悪い評判を吹き込むことを、先回りして防ぐことはできない。

ここで理性や冷静さを失ってはいけない。はじめに話したように、相手サイドの主張を把握し、ゆっくり無効化していくには時間がかかる。
 
パワーゲームは100m走ではない。つまり、最初にスタートダッシュをかまされ、劣勢に陥ったからと言って、あなたに打つ手がなくなるわけではない。あなたは、圧倒的に不利な戦況を、言葉以外の力でひっくり返さなければならない。
 
言葉以外の力で、かつ言葉より雄弁なものがある。それは、真摯な行動と成果である。相手の言い分が誤っていることを態度によって発信し、周囲の評価を少しずつ改めさせなければならない。
 
最初は、はらわたが煮えくり返る想いだろう。耳が聞こえないことを狡猾に利用し、ペラペラと周りに自分の悪評をばらまいて、自分の尊厳や立場を壊そうとしている相手だ。冷静になれ、というほうが難しい。アトバイスをするならば、そういう相手のことは忘れろ。勇気を出して、放置することだ。

味方を作ろうと奔走している対抗者の行動原理は「自己保身」だ。自分を被害者に仕立て、あなたを悪者に仕立てることで、彼らはあなたから自分を守ろうとしているのだ。

怒りに心を乗っ取られたり、内の世界にこもってしまったりすると、状況は一層悪くなる。ほれみたことか、私の言うとおりだ、とあなたのエネミーは喜ぶ。そんなとき、状況を打開しようと動けば動くほど、状況は悪くなっていく。空回りしてしまう。そうなる前に、冷静になり、すべての感情を追い出し、沈黙を守ろう。
 
負の感情の追い出し方については本記事の本筋からそれるため、言及しないが、下記本が非常に優れている。本屋などで立ち読みしてほしい。

 

 

状況をひっくり返すためには、長い時間がかかる。こればかりは宿命だと思って、負の感情にとらわれず、腰を据えてパワーゲームを戦っていくことが大切だ。感情を追い出し、あなたにできることを淡々と続けよう。

 

②どんな些細な欠点でも改善する

 

まず認めてほしいのは、パワーゲームに巻き込まれた時点で、あなたに何かしらの悪いところ、落ち度が必ずある、ということだ。

私が経験したパワーゲームを今振り返ってみると、どのパワーゲームにも「○○という点で、自分も悪かった」と思わされる点がある。その当時は冷静じゃなかったから、気付けなかっただけで、私も悪かった。

 

自分の落ち度を改善することが、あなたにできる唯一のことだ。

まず自分の課題改善に徹底して取り組もう。

お詫びが必要だと判断すれば、誠意を込めてお詫びしよう。


ここで、「自分が悪いもは分かるが、相手も悪い!」と自分の非を認めず、自分の立場や考えを周囲に主張すると、事態は悪化する。まずそう考えてしまう時点で、あなたは冷静な状態ではないからだ。あなたに欠点がある限り、周囲は同情したくても同情できないし、味方になりたくても味方になれないのだ。

 

人は、いいところもあれば悪いところもある。

長所は、短所の裏返しであり、短所は、長所の裏返しである。

人は完全ではない。不完全だから人間なのだ。

 

しかし、パワーゲームにおいてはこのロジックは働かない。
100%悪い人と、100%悪くない人に分かれる。両成敗はあり得ない。

 

パワーゲームに勝つためには、欠点のない完璧な人間になることを目指さなければいけない。めちゃくちゃ言うなよ、と憤りを覚えるかもしれないが、真実だ。

 

人は陰口が大好きな生き物だ。人間は、陰口でしか集団を維持できない悲しい生き物だ。「罪なき者だけが石を投げよ」がわかる人は、この世にほとんど存在しない。

 

この事実を受け入れて、なおかつパワーゲームに勝利するためには、自分が欠点を克服した完璧な人間になるしかないのだ。 欠点を克服すれば、敵は勝手に自滅する。

 

私は欠点を克服せよ、と言ったが、それはパワーゲームを勝ち抜くために、そうしろと言っているだけであり、その欠点によって自分にネガティブな評価をつける必要はない。

あなたにはあなたの良さがある。
あなたのよさは、あなたが知っている。

 

欠点を改善する取り組みが本物であれば、周囲の反応は徐々に、しかし確実に変わる。言葉と行動では説得力が違う。ひとりひとり味方が増えていく。

 
苦しいことだが、自分の短所とストイックに向き合うところから、周囲の評価を改めさせよう。敵の主張が間違っていることを態度と結果によって証明し、奪われた自尊心を取り戻そう。

欠点を改善することは、周囲の言い分を認める行為ではなく、自尊心を取り戻すための行為だと思って取り組んでほしい。

 

③競争から降りることを覚える


最後の対処法は、最も重要なことだ。
何度も痛い思いをして、私が学んだ処世術でもある。

 

忘れられないパワーゲームがある。5年前に巻き込まれたパワーゲームの話だ。

「どう考えても自分は悪くない。濡れ衣だ。」という絶対的な自信があった。またそれまで、一方的に相手の主張に我慢していたこともあり、これ以上やられることは自尊心が許さない、と考え、わたしは徹底的に抵抗した。

信頼できる人には相談を持ち掛け、根も葉もないうわさを信じ込んでいる層には敵意をむき出しにした。

そして私は、パワーゲームに負けた。あまりの理不尽さに我を忘れていたとはいえ、私の言動は誤解を解くためと呼ぶには、行き過ぎていた。その場のすべての人が私を避けようとする空気を察知した私は、逃げるようにそのコミュニティから離れた。その時はさすがに荒れた。全身全霊で世のすべてを恨みぬいた。人間という生き物の汚さや、社会の理不尽さで心は憎悪に染まり、部屋で暴れ、お酒を飲み、怒りの放出に疲れて寝ることを繰り返していた時期があった。

立ち直るまでずいぶん時間がかかったが、今だから言えることがある。

 

勝てそうなパワーゲームも、負けそうなパワーゲームも、相手の攻撃性に攻撃性で答えてはならない。感情に囚われてはならない。つまり、パワーゲームに乗っからないことが一番なのである。

『人を動かす』を書いたD・カーネギーもそう言っている。

 

パワーゲームから降りる、ということは白旗を振ることではない。そのパワーゲームを成立させている事由を打ち消すことが、降りるということである。

パワーゲームの不毛さに気づき、周囲に「もうやめよう、戦う意思はない」ということを無言で示さなければならない。そして、さんざん自分を傷つけてきた人(あるいは自分が傷つけた人)に優しい心で迎えなければならない。相手の言い分を認めなければならない。

あなたがパワーゲームにのっかっているうちは、することなすこと全てが空回りする。経験上、徹底抗戦していいことは一つもなかった。

なんのために人は争うのか、それは相手にとって自分という存在が不都合だからだ。不都合な存在になることをやめよう。ほしいものはくれてやれ。そんなくだらないもののために心をボロボロにすることはない。心を消耗してまで戦うべきパワーゲームは、そう多くない。こだわりや信念に囚われるな。

固執するのではなく、次のステージのために行動しよう。あなたがほしい物は、数年後に手に入ればいい、くらいの気持ちでいよう。
 
これができるようになるためには、相当な精神的な鍛錬が必要だ。なぜクズ野郎のために、そこまで譲歩しなければならないのか、とあなたは思うだろう。しかし、この世には修復不可能な汚さがあり、それを引き出してしまうのも、美しくするのも、あなたの心次第なのだ。
 
元総理である田中角栄は、敵陣の政治家が300万円の政治資金調達に困っているときに、500万円を渡した。敵対者ことごとくに塩を送った。あなたもまた、全てを腹に収め、許せるようにならなければならない。


人間の悪しき習性に対して、攻撃的に対応することは、さらなる攻撃性を招いてしまう。勝つことがあったとしても、精神を消耗させてしまい、勝利の美酒に酔いしれるより前に、パワーゲームが残した大きな禍根と向き合うことになる。

勇気を出して、パワーゲームそのものから降りよう。ただし、降りた傍らで、いまできることに懸命に打ち込み、欠点を改善し、自分を傷つけた相手のすべてを許そう。そうすれば、また別のあなたにふさわしいステージが用意される。大丈夫、世の中はそうできている。

 

 

まとめ

 

聴覚障害は、他者の心に巣くう攻撃性を引き出してしまいがちな障害だ。コミュニケーション能力にハンディがあるゆえに、スケープゴートの対象、都合よく扱われる対象になりうる、聴覚障害とはそういう障害だ。人間のダークサイドと何十回、何百回も向き合わなければならない。 

こうしたパワーゲームは、人格をひん曲げるには十分すぎるほどの影響を持つ。人への憎悪、世の中の卑しさ、無力感を蓄積していった者は、良くも悪くもスレた人間になる。捻じ曲がった人格は、さらなるパワーゲームを呼び込む。

ねじ曲がった性格が、これ以上ねじ曲がらないよう、本記事に記載した3つの処世術をもとに、この醜く残酷な世界を乗り切ってほしい。

 

リアルタイム情報の弱者である聴覚障害者が、健聴者とのパワーゲームを処理うえで必要な3つのマインド

①長期戦を覚悟する

②どんな些細な欠点でも改善する

③競争から降りることを覚える

 

この記事に共感できない、ピンと来ない聴覚障害者がいるとしたならば、あなたは間違いなく、周囲に恵まれている。理性的かつ、よき理解者に囲まれている。

その環境を大切にしてほしい。
 
 
最後に、わたしがパワーゲームを乗り切る上で参考になった本を挙げる。この本を書いた者は、黒人差別を受けながら国連の重要なポジションをこなし、国務長官まで上り詰めた人だ。聴覚障害者の人間関係も辛いが、国単位の利害を調整し、利害関係者の感情の渦をかいくぐる難しさとは比べるでもない。リーダー向けの本に思われるが、人間関係の英知が詰まっている。