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自由なき人生など、惨めなものだ - Andrew Hamilton

恐ろしいことに、高学歴ほど人生謳歌しているという事実

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 ※本記事は、交流のある高学歴に多く見られる特徴をもとに、わたし個人の見解を述べたものにすぎません。このことを念頭の上、お読みください。
※読了時間:8分(4700文字)

 

 

「勉強ができることと、人生充実度は関係ない(キリッ」幻想でした

恐ろしいことに、高学歴の人って頭でっかちなだけじゃない。
頭がいいだけだったらどれだけ救われることか。

 

・勉強ができることと、頭の良さは関係ない(キリッ
・低学歴でも成功している人はたくさんいる(キリッ
・人生が充実しているかどうかが最も大切だ(キリッ 

 

かつて、わたしはそう考えていた。しかし、大学4年間で考えは覆された。

大学入学と同時に、わたしは社交ダンス部に入部した。社交ダンスの学生連合には、偏差値50台の大学から国内トップクラスの偏差値を誇る大学まで幅広く登録されている。そして大会で上位に食い込むために必要なものはダンスの上手さだけ。

 

ダンスが上手い人が勝つ、とてもシンプルな世界だ。にもかかわらず、大会の団体順位で上位に食い込むのは旧帝、早慶だった。東大などはここ数年、圧倒的な強さを誇っている。

※社交ダンス部がある大学の成績のリンク; 東部日本学生競技ダンス連盟

 

ダンスの技術だけなら、大会成績上位の大学はもう少しバラけてもいいはずだ。しかし、上位に食い込む選手は決まって高学歴ばかり。大会の審査員が、高学歴ダンサーの踊りを贔屓目に評価していたのだろうか。残念ながら、そうではない (多少はあったが)。成績上位の人のダンスは、どれも本当に上手だった。

 

なぜこんなことが起こるのか、その理由はシンプルだ。高学歴の人ほど、ダンス上達のための環境が整っているからだ。学生の社交ダンス界は、高学歴ほど、名を馳せているプロダンサーのレッスンを受けやすい仕組みになっている。ダンスの先生も高学歴に教えた方が、自教室の評判が上がるため、高学歴ダンサーを優先して教えたがる。加えて、高学歴のみ参加できるダンス技術交換コミュニティが多数ある。単純な練習量では補えないほどの、機会格差があるのだ。そして胸糞悪いことに、「高学歴を特権階級とする仕組み」は、社交ダンス界に限らず、学問、企業、その他趣味、あらゆる分野に存在する。

 

もう1点。大学4年間、ダンスの技術の向上だけに時間とお金を費やしたわたしとは対照的に、社交ダンス部に所属していた高学歴ダンサーのほとんどは、ダンス以外の活動にも力を入れていた。マンガを書いたり、難関資格取得のために予備校に通ったり、本を出したり、学生ビジネスしたり、留学したり、etc

そして彼らは、あらゆる分野で結果を残す。思わず「二兎を追う者は一兎をも得ず」という諺を考えた奴に、キングコング・ニードロップをかましたくなるほどに。

例えば、下記の人のような人だ。

todai-umeet.com (※上記の方と私は知り合いではありません。)

 

まとめよう。高学歴のやつらは、一つの分野で突き抜けるための環境が潤沢に与えられている。高学歴と非高学歴の環境格差は、巨人と横浜DeNAベイスターズくらいある。また、奴らは一つの分野だけでは満足できず、ほかの分野にも積極的にするハングリー集団なのだ。

 

非高学歴の方は、このことを踏まえたうえで、今後の人生設計を考えなければいけない。

 

高学歴の人生謳歌スキルは大学入学時点である程度完成されている

まず、高学歴の人は、

努力(自律) ×工夫× 地頭 > 高学歴になるための水準値

という式を満足させることに成功して、晴れて高学歴になる。

上式のなかには、自制する力、知識を理解・応用する力、学習効率を最大化する力など、人生を充実させるために必要なサブ能力の多くが含まれている。つまり、彼らは人生を充実させるために必要な素養を大学入学時までに育てている。

そして最も重要な能力が自律する力。この能力が高学歴の人は極めて高い。

スタンフォード大学によるマシュマロ実験によると、自律心がある人ほど、社会的成果の平均が高く出ることが分かっている。

やりたくないことを処理した後、「いつもより頭が冴えている」と感じたことはないだろうか。なにかを我慢する行為は、前頭葉を鍛える。前頭葉が鍛えられている人は、集中力を極限まで高まった状態を瞬時に作ることができる。つまり、いつどんなときでもハイパフォーマンスを発揮できる。

高学歴は、受験勉強を通して、この前頭葉を強烈にビルドアップしている。

高学歴の強みは、地頭が良いことではない。(というか、アインシュタインのような人を除き、人間の頭の良さは変わらない。) 高学歴の強みは、前頭葉が発達していること、つまり何かに取り組むとき、①粘り強く桁外れの集中力を発揮できるところにある。

 

例えば、ヒエログリフ(古代エジプトの象形文字)を高学歴のAくん、非高学歴のBくんが学ぶとする。

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ふたりともヒエログリフの知識0だとする。それでも、粘り強く、集中して勉強できる高学歴Aくんのほうが、非高学歴Bくんよりも上達が早いということが起こる。

加えて、高学歴のAくんは、「覚えたヒエログリフを活用したい」と工夫力を発揮し、本当にエジプトに行ってしまう。そこで、海外の学生との交流を通し、Aくんは語力や人生観を磨いていく。一方、非高学歴の学生のBくんは「なんの役に立つんだ、あほらしい。」と考え、時間とお金を、日々の飲み会に費やす。

 

しかし、これはBくんに向上心がないだけなのだろうか?否、日本国民の大半はBくんと同じような考え方をする。Bくんの考え方はむしろマジョリティだ。

非高学歴の人の大半は、人生なぁなぁで生きている。我慢する前に見切りをつける癖が身に染み付いているから、前頭葉もゆるみきっている。

 

当たり前の話を3つする。

①努力(=我慢&集中)できる人のほうが高い成果を残しやすい

②結果が出るほうが、楽しい

③1つのスキルを身につけたら、できることが増える

 

高学歴は、この①、②、③の下地を受験勉強のなかで育てている。人生謳歌できないわけがない。ひとつもおかしいところはなかった。

 

高学歴ほど挫折に弱い説 むしろ挫折に強いという

高学歴ほど失敗しないというが、あれは嘘である。誰だって、行動したら失敗する。それが人間だ。大胆な行動であればあるほど、大きな失敗がつきまとう。しかし高学歴は、その向上心の高さ、関心を持つ分野の広さゆえに、行動量が非高学歴とは段違いなのだ。高学歴はその行動量の多さ、試行錯誤の多さにより早期の段階で、膨大な失敗を積み重ねている。そして、ひとつの失敗から多くを学び、失敗の勘所を掴んでいる。だから、失敗しないように見えるだけなのだ。

高学歴が失敗して落ち込むのは、当たり前だ。高学歴じゃなくても、期待に応えようと努力して失敗したら落ち込む。
高学歴の人のプライドが高いのは、学歴もあるだろうが、それ以上に、自分なりに試行錯誤して結果を出してきた自負があるからだ。
そして、高学歴は、高学歴であるがゆえに周囲から求められるハードルが非常に高い。すさまじいプレッシャーのなかで、自分を見失わないよう踏ん張っているうちに、自信と自信相応の能力を持つようになる。

わたしの知る限り、高学歴にメンタルが弱いやつはいない。
恐ろしくタフな人しかいない。社会人になって、それは確信に変わった。

一流企業に高学歴が多いということは、高学歴が普通の企業では経験できないような仕事をバンバンさばいているわけだ。高学歴は、レベルの高い仕事を処理しながら、どんどん成長していく。わたしは過去、それなりの大手企業で働いていたが、縮みあがりそうな仕事を複数抱えている元同期(高学歴)のメンタルタフネスに感嘆するしかなかった。わたしは彼らの強さを心から尊敬している。

 

じゃあ、非高学歴の人はどうすればいいのさ!?(

ここまで、高学歴マンセーなことばかり書いてきた。

しかしここでわたしは、「では高学歴の尻に敷かれる人生を受け入れますね」とはならない。冗談じゃない。

はっきり言おう、非高学歴の人がやるべきことは、たったひとつ

 

高学歴とやることと一緒だ。
行動するしかない。

勉強するしかないし、いろいろな人と会うしかない。理想を実現するために努力しなければいけないし、色々なものを我慢しなくてはいけない。

高学歴の人はもともと要領がいい。加えて、恵まれた環境により「質のいい失敗」をたくさん経験できる。

「自分は要領が悪い方」と感じている人は、高学歴の人が10の失敗で学べることを、100の失敗を経験して学ぶことになるかもしれないことを覚悟しなければいけない。失敗という苦汁を舐めて舐めて、舌の色がこの世の色とは思えない色になるまで、舐め尽して、学ぶしかない。

 

しかし、非高学歴の場合、やみくもに行動するだけでは駄目である。ほかに、もう一つ重要なことを悟らなければいけない。

成長するために必要な課題は、すべて次の式で表される。

解決しなければいけない課題 = 理想 - 現状

つまり、非高学歴は現状を悟らなければいけない。

人間、理想の自分像を思い描くのは非常に得意だ。しかし、自分のリアルな姿と向き合うことは非常に苦手である。

しかし当たり前のことだが、現状の自分の姿を受け入れないことには、理想の自分になるために必要なものを整理し、具体的な行動計画に落とすことができない。

少しでも効率良く、成長するためには、ありのままの自分を認めなければいけない。それはつまり、「自分が、特別な人間じゃないこと」を受け入れることに他ならない。心理学の権威であるアドラーはこれを「自己受容」と表現した。

 

自分が普通の人間であることを受け入れられない人が、普通以上の人間に化けることはない。

非高学歴ができることは、「いまのわたしは平凡な人間でしかない」ということを受け入れ、ひたすら行動するしかないのだ。

最も重要なことは高学歴の人がどうこうよりも、自分の人生を見直すこと

最後に、ここに書いたことは高学歴全員に当てはまるわけではない。意識の高い人の特徴を高学歴という枠に無理やり押し込めている風に読める人もいるかもしれない。

しかし、高学歴の人に顕著にみられる特徴なのは間違いない。わたしは高学歴の特徴を、自分の人生を見直すきっかけにすればいいと考えている。

わたしが大学生だったとき、人生をめいっぱい生きようとしている人とたくさん出会い、「わたしは自分の人生をどう生きているだろうか」と内省する機会を得た。そして、内省するきっかけになった人物、つまり人生を精一杯生きている人のほとんどが高学歴だった。わたしは「すべての人から学べる」というスタンスだが、尊敬できる志、人生観を持つ人が高学歴に多いことは明らかだった。

高学歴の人間含め、毎日を充実させている人の生き方は、自分も負けていられないという感情を呼び起こす。自分の人生を豊かにするきっかけになる。

自分の人生をより良くするために、他人を参考にすることは決して悪いことじゃない。

最後に、紀田順一郎氏の言葉をあなたに贈る。

社会というところは、短期的に見ればアンフェアなところもある。しかし、長期的に見ればフェアなものだ。