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自由なき人生など、惨めなものだ - Andrew Hamilton

【聴覚障害者はKY?】耳が聞こえない人の内面発達プロセス【難聴者は性格が悪い?】

f:id:yRy:20160422144409p:plainphoto credit: via photopin (license)

 

# この記事は2009年に作成したものを、書き直したものです。
# 文章の一部に変更を加え、内容はそのままにしてあります。

【一部?】聴覚障害者は自己中心的?【全部?】
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/handicap/1214823094/l50%3C/strong%3E

上記URLは2chのスレッドへと繋がっています。このスレッドの内容に、色々と考えらされることがあり、本記事を作成しました。

 

私の存在をもって、はっきり断定できることがあります。

それは、聴覚障害者にKYはかなり多い ということ。

聴覚障害者の95%がKYでしょう。
聴覚障害者にKYが多い理由を箇条書きします。

  •  会話内容が聞き取れない&理解できないため、場の空気の変化を察知できない。
    ⇒聴覚障害者は、周囲がシリアスな話をしているときに、つまらないジョークを飛ばす。
  • 集団で会話をしているとき、会話に混ざれない状況に耐えられなくなり、話題に無理に入ろうとする。
    聴覚障害者は、ピントがずれたことばかり話す。
  • 話を聞いてもわからない⇒話し手になる方が楽
    聴覚障害者は、なにかにつけて自分を話題の中心にする。
  • 人の考え方を、会話の中で理解する機会が少ないため、物事を判断するときに自分の考えに強く執着する傾向がある。
    聴覚障害者は、自分本位な言動が目立つ。

上記内容はあくまで聴覚障害の表面的な問題をなぞったものです。本当に上記の問題だけであれば、聴覚障害者は軽いKYですみます。
しかし、実際はそうではありません。その理由をこれからご説明します。

 聴覚障害者は「内面成長に必要な情報」が音として耳に入らない、という問題を抱えています。そしてこれが、聴覚障害者をKYたらしめる最大の原因です。

健聴者は日常の会話の中で、「あのような発言をすると、痛い目に合う」ということを学習します。日常生活のなかでの学習を通して、一般常識、モラル、社会性を磨き、成熟した内面を育てていきます。

しかし、聴覚障害者は耳から入る情報が少ないために、「あのような発言をすると、痛い目に合う」ということを学べません。成熟した内面を育てるための学習機会が健聴者よりもずっと少ないのです。

 

わたし自身の経験をお話しします。わたしは、小学校1年生のときから今日まで、健聴者と共に過ごしてきました。

高校2年生まで、わたしは学校の同級生を心底、軽蔑してしていました。「同級生はみんなバカ」と本気で考えていました。当時のわたしは、行動様式、字の綺麗さ、テストの成績、先生への忠実度、そんなところだけで同級生を評価していました。

高校時代、わたしは所属していた部活のメンバーと衝突しました。同じ部活の同級生から「人を見下したような、お前の言動にはうんざりだ。周囲がどう感じるかなんて、意に介していない。」と言われ、初めて自分の内面問題について考え始めました。

「もしかすると、同級生のことがバカに見えたのは、同級生に問題があったのではなく、私の心に問題があったのではないか。」
「私のいままでの言動は、周囲の目にどう映っていたのだろうか。」

 

まさに青天の霹靂でした。

 

人を知るための努力をしてこなかったことを反省し、同級生を尊敬するところから、人との付き合いを変えようとしました。しかし、同級生のどこを尊敬したらいいのか分からず、悩みました。

健聴者には想像しにくいでしょうが、話が聞こえないと、人の長所、考え方、価値観に触れる機会がぐっと減り、(よほど親しい人を除き)他人のどこを尊敬したらいいのか分からなくなるのです。

そして、当時のわたしは自分自身を激しく責めました。周囲に対して謙虚になれないのは、わたしの心に欠陥があるのではないか、と。

 

いま現在は、周囲の人と良好な関係を築けていますが、それでも自身の精神の未熟さを痛感することがたくさんあります。失礼なことを口走ってしまったり、高校生でもしないような軽率な行動を取ってしまったりなどです。

しかし、精神の未熟さを自覚できただけでもわたしは恵まれています。

聴覚障害者には、自身の未熟さを自覚できていない人が山ほどいます。わたしからみても唖然とする言動をする人がたくさんいます。そして、彼らは自身の言動を「自分らしさ」と勘違いしている節さえあります。

聴覚障害者がKYなのは、「会話を聞き取る能力」よりも「他者と協働する能力に欠陥があり、そのことを自覚していない」ところに起因するケースがほとんどです。

 

聴覚障害者が子どものころは健聴者の精神年齢の差が、さほど大きくありません。加えて、KYな行動も、「まだ子供だから…」と周囲も大目に見ます。

しかし、中学生、高校生、大学生となるにつれて、聴覚障害者と健聴者の精神年齢のギャップが大きくなっていきます。そして社会人になったとき、健聴者と聴覚障害者の精神年齢のギャップの開きがピークに達します。

 

精神面の発育が遅れた聴覚障害者が社会に出ると、どういったことが起こるか?

  • 聞こえとは関係ない悪習慣(言い訳、寝坊、etc)も、聴覚障害者だから、と許されてしまう。
  • 高度な人間関係のこなし方、社会的マナー、モラル欠如が欠如していたとしても、聴覚障害者だから改善するのは無理、と諦められる。
  • 周囲から、期待されなくなる。

結果、聴覚障害者は、「周囲の人から馬鹿にされる」「強い孤独感を感じる」「自分が分からない」などの悩みを抱えるようになります。聴覚障害者が感じることは、社会に対する一種の理不尽さです。

自分が悪いのはわかる、しかし自分がそれほど間違っているとも思えない、という気持ちになります。

 

聴覚障害者のキャラクターは、思慮が浅い、感情が希薄、自分本位、欠点を改善しない、と考えられがちです。それは半分、正しいです。なぜ正しいかはここまでに書いたとおりです。

仕事ぶりや人格に問題のある人は、障害者でなくとも、見下されます。耳が聞こえないというだけで、聴覚障害者が見下されているわけではありません。世間はそこまで冷たくありません。人格に問題のある聴覚障害者が多いから、結果的に聴覚障害者の多くが見下されています。

 

非常に難しい問題です。

問題行動の多い聴覚障害者も、耳が聞こえていれば、また違った人格を形成できていたかもしれないのですから。耳が聞こえていれば、自分の精神成熟度を自覚できていたかもしれないのですから。

 

聴覚障害は「音が聞こえない」だけの障害ではありません。一般常識、人の感情を理解する力、思慮分別、これらの成長を妨げる障害なのです。

 

ここで聴覚障害者の一人であるわたしが、
聴覚障害者の同胞に、声を大にして言いたいことがあります。

ここに書いたことはすべて、
聴覚障害者自身が解決しなければいけない問題です。

ほとんどの人間関係のトラブルは、あなたの障害内容ではなく、あなたの言動が発端になっていることがほとんどです。周囲と衝突した場合、まず自分の言動に過失がなかったかどうか振り返りましょう。

また、耳が聞こえないゆえにできないことが生じてしまうのは、どうしようもないことです。周囲の人も生活や時間の使い方があり、効率的にタスクを処理するために、あなたの耳に配慮できないことだってあるのです。周囲の人があなたを100%健聴者と同じように扱うのは無理なのです。あなたに出来ることは、内面を磨き、周囲の人の信頼を勝ち得て、あなたにしかできない何かを生み出すことだけです。

そしてわたしは、「聴覚障害者=精神的に未熟」ということを主張しているわけではありません。精神的な成長の機会が少ないことは、聴覚障害者として生まれた人の宿命であることを書いているだけです。そして、これは当人が解決しなければいけない人生のタスクです。

最後に、聴覚障害者は、次のABCを守りましょう。

A:当たり前のことを

B:バカに見たいに

C:ちゃんとやる

これを徹底すれば、周囲の人もあなたの内面的な問題を教えてくれるようになります。あなたの本当の人間性を尊重してくれるようになります。このABCを守ることは、あなたの地位向上に、ひいては聴覚障害者の地位向上に貢献します。

 

聴覚障害者と深くかかわっている方へ

この記事を見せながら、繰り返し、聴覚障害者であるがゆえの課題・問題があることを彼/彼女に伝えてあげてください。あわせて、 「周囲とつながりたいのにつながれない」という彼/彼女の苦しみについて理解を寄せていただきたく思います。

聴覚障害者が感じている孤独は、すさまじいものです。その深い孤独は、実際に経験してみないと分からないものだと思います。

実際、自殺率の一番高い身体障害は「聴覚障害」です。 

聴覚障害者が、周囲と良好な関係を築けるようになるまでに、乗り越えなければいけないハードルは非常に高く、苦しいものです。普通の人なら向き合わずに済ませられるものと、たくさん向き合わなくてはいけません。

何度言っても改善されないことがあるかもしれませんが、どうか聴覚障害の彼/彼女にチャンスを与えてあげてください。

 

聴覚障害障害を抱えている子どもを持つお母様、お父様へ

私がここに書いたことは、事実として、受け止めていただきたいことです。すべての聴覚障害者がKYだと主張するわけではありません。すべての聴覚障害者が、ここまでに書いたような問題に直面すると断定するわけではありません。

しかし、一般論として、ここまで書いてきた内容が、あなたのお子様の未来の姿である可能性が非常に高いです。 そして、あなたのお子様は、そんな未来に向かって育っていっているわけです。それは神があなたのお子様に与えた試練なのです。健常者ですら、生きにくいであろう世の中が、どうして聴覚障害者にとって生きやすいと言えるでしょうか。

お子様には下記のことを徹底して、伝えてあげてほしいと思っています。

時間を守ること、忘れ物をしないこと、嘘はついてはいけないこと、人を傷つけてはいけないこと、そして ”誰よりもあなたを愛している”ということ

私が、心がボロボロになったとき立ち上がる勇気をくれるのは決まって「親から愛された記憶」でした。聴覚障害とは、生涯、自分と向き合うことを宿命づけられた障害です。子どもが子どもであるうちに、お子様をたくさん愛してあげてください。愛された記憶さえあれば、あなたのお子様は、成人してからの人生を、たくましく生き抜くことができるでしょう。